Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
江川君とは同い年で誕生日も近いので高校時代からプロ入団後も目が離せない存在でした。他人事には思えない親近感を勝手に持ち続けた同じ時代の大ヒーローでしたね。大学へ進学せず、また巨人軍に固執せずプロに進んでいれば確実に300勝以上の成績を残した天才中の超天才投手でした。全身バネの様な体幹と脚腰。そしてムチか柳の様な、しなやかな肩・腕・手首への連動性から放たれた伸びのある制球と球威は文句無し・お見事な球筋だ。ものが違う仕上がりに惚れ惚れするね。正にプロ野球投手に成る為に生まれて来た様な逸材です。江川君の前後に江川君無し。昭和の怪物の前では平成の怪物も小さく見えるのは私だけだろうか?→ものが違うね。本物の怪物。
突出度では江川卓さんが歴代№1だと思います!ストレートの球質もです。しかしながら、球速や多彩な変化球現代の野球のレベルの高さで残した成績から、歴代№1はダルビッシュ有、大谷翔平だと思います!
やはり、怪物江川は凄いです。もう、二度と出ない逸材だと思います。高校時代の投球をバックスクリーンから見たかったですね。
江川の美しい投球フォーム、好きでした。浮き上がる球筋は、神道!
北陽戦、生で観ました。北陽は優勝候補だったのに、手も足も出ない。夏の大会は江川大会と言われた。こんなに凄い高校生はもう出てこないでしょう。
僕も、そう思います。
私もそう思います。
同意します
どんでん岡田氏がこのとき北陽の一年生だったそうですがRUclipsで「有田さんが三塁打打ったんよ、そしたら次の打者に監督が出したサインはホームスチール。バットに当たらんと思ったんやろね。」
何と言っても フォームが美しい
江川のピッチングそれ自体がエンターテインメントだった。ホームランも何もなくても江川の大量三振を見るのがお目当てで球場に行く人が大勢いたのだ。球速だけではない何かがあったからだ。
リアルタイムで見ました。マウンドに立った江川は身長3メートルの巨人に見えました。それぐらいの存在感。そして短く持ったバットに掠りもしない剛球。当時の高校生も動体視力はそう変わらないはず。何とか当てられる大谷の165キロより遥かに凄かった。その再現を夢見て引退するまでずっと彼に引きずられた。1984年のオールスター8三振。その輝きを一瞬見せて彼は去って行った。
江川卓こそ日本一の投手です
あの体重の乗ったフォームから微動だにしないずっしり重く鉛のように速い球…けた外れだったから怪物という表現しかなかったそれほど凄かった…長年野球を見てきたが怪物というのは江川だけである、あのときの江川はプロ野球を含めても頭一つ抜けていた…正に怪物だった
速いも何も高校生なんて思えないスピード。とにかくお化けの様な投手でしたよ。
江川を見たら、どの投手を見ても、、、選抜のVTR持ってる人いないかなもう一度見たい
選抜で対戦した小倉南OBです。高校時代の江川卓投手を生で見た人にしか分からない、甲子園の怪物と言う言葉はこの人だけの為に有ると思います。なんびとたりとも比べる事態がおかしい次元が違う高校生でした。予選も含めた数字が全てで有る。
私も見ました。有名な剛速球投手は大概見ましたがレベルが全然違います。ほとんどのバッターは速過ぎてボールが見えないと思いますよ。
江川に関しては 貴方が書かれたことが全てです 見たことない人には決して分からないでしょう
江川さんと対戦し、その後プロ入りされて大活躍された篠塚さん石毛さんも一様に同じ話をされています。篠塚さんなど『あのボールを見たからプロ入り後も、他の投手が投げるスピードボールを一度たりとも速いと思った事は無い』とまで断言されてます。その期間だけを括るなら、沢村さん金田さん稲尾さん、レジェンドを超える(プロアマの枠を超える)日本一の投手だったのではないかと思っています。
俺の中では江川は一番ワクワクドキドキで見ていたこんなピッチャー後にも先にもいない
突出度は江川卓さん歴代№1ですよね!
正直江川さんより、現代の怪物大谷翔平、ダルビッシュ有、田中将大の方がレベルは高いと思います。球速や多彩な変化球を投げられるため、現代野球の高いレベルで大活躍してるでしょう⚾ただ、江川さんのストレートが良すぎますから球質と突出度は江川さんに軍配が上がるかと思います。
江川の場合、ストレートとカーブだけだもん。大学時代は早稲田の岡田(元・阪神)相手の時だけ、『シュート』投げてたそうだけど、今の感覚だと右バッターの内角を攻めるカットボールじゃないかと…
@@テヨン-g1t 変化球は必要無かったんだよ事実高校時代はほぼストレートだけで抑えられたしプロでも晩年スライダーを加えたぐらいで15勝出来てたんだから現代の高校野球にまっすぐとカーブだけで通用するかと言われれば不毛な議論になってしまう
@@テヨン-g1t 要するにストレートが空振り取れないから、いろんな変化球覚えないと駄目なんですね、オールスターの佐々木朗希のストレートでも三振はしない。
高校時代の躍動感がすごいダイナミックなフォームと体のバネは佐々木朗希に通じるものがあるさらにボールがホップするとなれば現代でも打てっこない
2週間前に江川の柳川商戦がyoutube にアップされ再生数が40万を超えました。今後100万200万と増えるでしょう。
まさに史上最高の超怪物‼️江川卓‼️
小学生の頃、草野球をやっていてスコアブックをつける練習の為に選抜高校野球を記録していたら、突然江川がKの嵐で度肝を抜かれ、それからずっとファンです。
◇その「スコアブック」今もありますか?それが観てみたい。
北陽との試合では、ナインから三振ばかりでは練習にならないとの声が上がったため、後半は力を抜いて打たせたとのことだから、ずっと全力でいけば三振は20個以上取ったのではないか。
大学時代、ブランク時代が残念でならない。プロ野球で早くから存分に活躍してほしかった。
あの、あの王の、王貞治の口から江川を評価するコメントが出るって言うそれだけで、ジーンときた。ナレーションが星一徹なのもGOOD。
「作新学院 江川卓」中学二年生の春の衝撃的な登場でした。地方の野球少年の心をワシヅカミにしたその圧倒的存在感は半世紀たってもくっきりと蘇ります。その後いろいろ汚名もかぶりましたが、高校野球時代の傑出した足跡だけで充分不世出だと思います。
やはり球がバットに当たらないのは凄かった 県大会で自責点0とか3試合連続ノ-ヒットノ-ランとかは誰もやってないと思う比べる投手はいない
江川の凄いのは完全試合2回含めてノーノー10回以上。特に1973年の選抜には地区大会など28試合投げて140イニング無失点の防御率0.00で選抜出場。開幕戦は優勝候補だった西の横綱北陽と開幕戦で対決。ここまで28勝0敗負け無しの怪物江川に、(相手投手は後に近鉄ドラ2で入団)強打の北陽打線も空振り三振の連発。準決勝で広島商のダブルスチールの奇襲で捕手のサード悪送球が決勝点で負ける。この負けた試合も被安打は僅かたった2本。この敗戦から夏の選手権大会までに、再び140イニング連続無失点を江川はやり甲子園に出場してる。夏の予選は初戦がノーノー、2回戦は被安打1の完封、準々決勝も被安打1、準決勝決勝は再びノーノー。45イニング投げ奪三振75被安打2に抑えてる。高校時代の江川は記録も豪速球も桁違いに凄かった。平成の怪物松坂とは比較にならない。その証拠に江川は高校時代は大量失点は一度もない。強豪横浜や銚子商は江川からチーム4本のヒットが目標だった。怪物江川卓は戦後高校野球の間違いなく史上最高の投手である。最後の夏の甲子園は2試合で27イニング投げ自責点2、最初の柳川商戦では15イニング投げて23奪三振、次の銚子商戦は雨の中、延長12回押し出しサヨナラの1-0負けで昭和の怪物江川の夏は終わった。因みに前年の昭和47年の高校2年生の時に記録した、栃木県予選の36イニング連続無安打無失点は未だに破られない日本記録である。
読んでるだけで鳥肌が立つ!まさに怪物!
懐かしい、昭和48年七月栃木県夏の大会決勝戦をテレビで見た瞬間下馬評通り納得映像でも解る全てが、こういう投手は二度とでない。
実際に高校3年時の江川と練習試合ではあったが対戦した者です。江川の球質はちょっと別次元なくらい違っていたように思う。スピードも勿論速かったが、そのライズするような球質は想像以上でした。投げた瞬間に低い、ボールと思ったボールが手元では高めに入ってくるような球質でした。体格もオッサンくさいくらい立派でした。
BIGDRIVE333 貴重な証言です。私は老人で昔は甲子園見てましたが比類ない感銘を受けたのは江川です。力投型でなく軽く投げているようで躍動的。人生で一番楽しませてくれた投手です。硬式野球部経験者のはしくれです。
あの球威はいまの選手に伝授できないのかな?ホップするストレート❗
物理法則からホップというのは無い。けど、球が手を離れた時とホームを通過する時の球速差が殆ど無ければ(普通の投手なら有る)、まるで浮き上がってくるように見えるもんなんだって。
初速と終速の差がごく僅かなんでしょうね。全盛期が高校時代だとしても、オールスターでの落合含め8連続三振は見事でした。
誰が何と言おうが、すごい物はすごいし、見ていてワクワクしてしまう、というのは、感じる人は感じる、それでいいのではないのでしょうか。
最初の映像だけでもめちゃくちゃ速いよ。160キロ出てるような回転スピード。
今言うんだけど、あの貫禄というか投げ方は江夏の雰囲気と似ているね。これ本当!
初速と終速が余り変わらなかったのが江川ですね。球が伸びるような感じでしたね。
やっぱり甲子園の怪物は江川
作新学院、、と言えば 江川...と頭に浮かぶ
その素質から言えば、実働9年で135勝でも物足りなく感じる。仮定の話だが、もし高校からプロに行っていれば倍は勝てただろうし、もっとタイトルを取っていただろう。
速さだけならチャップマンみたいな化け物には敵わないと思うよ。江川のピッチャーとしての魅力はいろいろあるけど、一番の魅力は球筋だよ。彼の速球の球筋は実に美しかった。この一点において他の追随を許さず。
作家の故立松和平が、高校時代の江川は「投げるたびに伝説ができる」とおっしゃってたな。
右の本格派数々観ました。山口高とかも生で観ましたが、やはり、江川がピカイチです。僕も北陽との試合も観ましたが、うなりをあげる速球を間近で観たのは江川だ。
江川の何が凄いかっていうと、今のようにインターネットで簡単に情報をキャッチできなかった時代に、甲子園に出る前から都市伝説を作っていたこと。こんな選手はもう出てこないでしょうね。
凄いのではなく、大人と子供ほどの力の差!不世出の天才!
王さんや記者、審判の専門家の人が言ってる、間違いない。高校を100としたら大学時代は手抜きの80、一浪して巨人は初年度は登板機会が6月以降。19から24歳、大学4年浪人1年巨人1年目の6年間がもったいない半端なキャリア。いい時期を集中力やる気が出たプロの現場に高卒で行って欲しかった。楽々200勝で第二期長嶋巨人のユニホーム着てたかも
高校時代の江川は凄い投手だったんですね。即プロになっていればと考えると大変惜しい気がします。
5:47の投球フォームは世界最高の投球フォームですね。これを現代に再現出来るような指導を出来る人は居ないのでしょうか…?
あのフォームを真似させると投手がつぶれてしまうとどこかの高校の監督が言ってました。巨人時代に松本に次ぐ俊足等、おそらく身体能力も飛び抜けていたのでしょう。
後楽園球場でバイトしてたとき、真横から見る江川の球の伸びは、ほかの投手と比較にならないほどのモノでした。そして、あのカーブ・・・腕は振り切れているのに、まだボールは顔の真横に残っているかのような錯覚に陥りました。見ている者のタイミングが狂うほどの投手は、江川以来見ていません。
* 西園寺ムーポン m
1975~2010年頃までシーズン中は、ほぼ毎日中継・ニュースでプロ野球を目にしていました。その中でバッターが軌道よりボール2~3個分下を振らされていたのは、巨人の江川・阪神の藤川くらいでした。彼らが試合で投げるストレートは145~150km前後でした。同時期にはロッテの村田兆治、中日の小松辰雄、そして藤川の時代には松坂など150~155kmを常時投げる投手はいましたが、彼らの様なバッターが歯が立たないストレートではなかった感じがありましたね。
プロに入ってからの江川の投げた試合はほとんどテレビで見ていたが最速は153キロでした。それでも高校時代のほうがもっと速かったと言われています。江川の場合は最終回に一番球速が出やすいことから相当余裕持って投げていたように思える。当時は完投が当たり前で、途中で降板するときはスタミナ温存による手抜き投法で打ち込まれたことが多かった。
江川が高卒でプロ入りしてたら300勝は間違いなかったでしょう‼️皆さん色んなこと言ってるけど当時の江川に匹敵したのは浪商から東映に行った尾崎行雄位でしょう‼️尾崎行雄も本当に凄かったです😆🎵🎵当時大毎の4番の山内を新人のオープン戦で3球3振でかすりもしなかったんだから。江川同様ポップするから打者は本当に打ちあぐねてましたね。とにかく江川と尾崎行雄は別格ですね😃
何せ、世界の王さんが言ってるんだから間違いない。
昭和52年、栃木県生まれです。作新学院時代の江川氏の「伝説」は、江川氏が巨人を退団したあと、90年代でも地元では語り継がれていました。いわく、県予選ではとにかく相手打者のバットが球にかすっただけでスタンドからどよめきが起こったとか。去年夏の甲子園での「レジェンド始球式」に江川氏が登場しなかったのは意外でした。
江川はプロでも150キロ以上投げてるし、高校時代でも150ぐらい投げてたのは間違いない。尚且つ、投げるとき球離れを遅くしてスピンの多い球を投げていた。速度以上に速く感じる球。しかも制球力が高い。これで落ちる系の強力な変化球を持っていたら当時のアメリカでも通用したかも
沢村➔金田➔江夏➔江川・・・天才の系譜です。
友人の父が作新学院vs北陽の試合ビデオ所持しているの見せてもらったが確かに速かった。160キロ近く出ていたような気がする。
羨ましい!あの試合、テレビで見てました。
VTR観たいなぁ
5年前に作新が優勝したときのエース今井達也が初戦の尽誠学園戦で完封して全国デビューしたとき、江川の北陽戦をふと思い出しました。
先日練習試合で桐光松井が選抜覇者浦学に7-0の1安打無四球完封18奪三振で勝利した。坂東英二83三振を超える可能性がある投手は彼しかいないと思う。今年から、準々決勝終了後1日休養日が入る。連投と不平等の解消にある。奪三振ショーは江川以来かもしれない。
江川投手が作新学院を甲子園に連れていき、雨中の試合で満塁、押し出しで負ける。江川投手がナインに「思い切り投げて、外れても良いか」 ナインは「良いよ」 押し出しで負けたのを覚えています。印象深い
王さんは監督時代に江川と反りが合わないと言われていたが、やはり実力は認めていたんだな。
江川のことや当時と今の違いを正しく理解されていない書き込みも多いので、一言。●江川投手が法政大学2年の時に故障したことはよく知られています。さらに、大学を出てからの1年間の浪人時代を過ごしたため、プロに入ってからの●木製バットと金属バットの違いについて、スイートスポットの広さと反発力に違いがあるので、バットに当てられなければ関係ないですね。江川の球をバットに当てただけで騒がれてましたから。●球速について、対戦相手が江川と戦う前に投手を2m前から投げさせて速球対策をとろうとしても当てられなかったり、ホップする感覚に対処するためにバットを短く持って上から叩こうとしても当てられなかった事を考えると、他の投手より1割以上は速かった事は確かかと。●当時と今の打者のレベルについて、子供の頃、スポーツをする子供の大部分が野球をやって、そこから能力が高い子だけが野球を続けていた江川の時代と、子供の頃に運動能力が高い子はサッカーを選んで、それ以外の子が野球をやるという今の時代とでは、前者の方がレベルが高いと思います。
江川卓さんの突出さとストレートの球質は歴代№1ですね!でも、歴代№1はメジャーでも大活躍のダルビッシュ有、大谷翔平かと。165キロのストレートや多彩な変化を投げられます⚾江川さんが現代メジャーを相手にストレートと2種類のカーブではなかなか太刀打ちできないかと。今よりはレベルの高くない当時の外国人に一発病で食らうことが多々ございました。
春の選抜大会で「怪物江川」の存在を知り、5月のゴールデンウィークに「ご当地」に交流し合いで作新学園がやって来ました。バックネット裏で観戦しましたが聞きしに勝るストレートで「浮き上がる」投球を見ました。7回までヒットは1本、まぐれ当たりでセンター前にぽってんヒット。7回で交代してしまいました。3年生で年は1才下でしたがスゴイ男がいるものだと感心、夏の大会が楽しみでした。
当時 高校生の江川が甲子園球場で投げたら→観客たち「高校野球でこんな速い球を投げていいのか⁉️」と思ったそうですよ。
江川が在学中に作新の打線が良かったら、何季連続で全国制覇してただろうか?
当時観てました、江川は凄かったと言う記憶しかないし疲労からだと思っていたが、この動画を見て再認識するのは、戦略・戦術としてのチームプレイで豪腕・江川の牙城も崩れた。野球の奥深さだな。
俺は、60歳代、関東の住人ですよ。高2の栃木県大会で江川を見てる。球筋は違うが江夏並みに速かったと思うよ。7年後楽園のネット裏で見た150KMの小松よりも速かった。巨人時代の1983年に見た江川は、ピッチングは上手くなったがスピードは鈴木孝正くらいになってて残念に思ったな。プロに入って速かったのは1982年(26歳)まででしょうね。しかしなにしろ高校時代はすさまじかったのは確か。
色々言われてますが、松坂よりも速かったことは松坂が高校時代の時の監督が言っていたので、確かでしょう。
江川と比較するにあたり、渡辺さんはわざわざ教え子である松坂の方を褒めたり上げたりするような世間知らずな指導者ではありませんからね笑でも球速は間違いなく松坂の方が上ですよ江川は球速もそれなりにはあったでしょうけど、当時ではあまり見慣れないホップ軌道の球筋のお陰で打たれなかっただけですから
史上最高のピッチャーですね😊
今治西はここで江川にもやられていたんだね
いまの時代のほうが総じてレベル高いのは自明の理ですが、個人のポテンシャルは時代関係ないです。江川も、たとえば桑田真澄も伊藤智仁も、全盛期の彼らが現代でプレーしたって、エース級の活躍をするでしょう。
江川の当時を知らない人間があーだこーだ言うのはおかしいぞ?江川の登場は当時では社会現象。松坂、桑田・清原、大谷・藤浪の比ではない。
NewJackInta 確かに。そうだな。
誰を比較するにしても打たれた安打数を考えれば江川が別次元だったのは明白
この時代だと最強ピッチャー 今の高校野球じゃ同じ活躍はできないと思う それくらいの現在とのレベル差はあるのでは? でも、150kmは出てますね ボールの回転も凄いし
@@7709281 ◇これ見れば「通じる!!」となるはず。こんな球筋のボール投げる投手、現在一人も存在しない。浮き上がってくる球。これで七分投球。さらにまだ全力で投げられたら?(まず打てない)昨夏、NHKが’73年投球を画像解析し~「163Km/h」と放送。(2:03からどうぞ~)ruclips.net/video/ab9LiChLl38/видео.html
昭和48年の怪物はハイセイコー、江川、輪島には怪物の冠が
横浜高校の監督が松阪より断然江川と言ってるからどれだけ凄かったのか見たかった
やはり夏の時とは違う投球フォーム。夏の時は足を上げて降ろすとき三塁側にか身体が傾きかける感じになってスリークォーター気味な投げ方が目に付く時があるが、センバツの時は先ず有りません。これはセンバツ後の高野連による招待試合の駆り出しによる蓄積した疲労によるものでしょう(栃木から愛媛の遠征も有り。そこで西本投手との出会いはあったが・・)。江川さんは最近この駆り出しの事を批判する様になり、水野さんもセンバツ優勝校池田の招待試合への駆り出しによる疲労(徳島から沖縄への遠征有り)で夏は脇腹を痛めていた事を話しています。センバツで優勝したり目立って活躍した学校程、夏に向けコンディションを整える事が必要なのにそれを崩す事をし、夏に向けて何の注目を浴びないが故にしっかりコンディションを整えて来た学校がノコノコ優勝するのは実にフザけた話(例1983年夏のPL学園)です。招待試合駆り出しにも高野連は考慮しなければならないのでは。
プロに入って、足を跳ね上げて投げるようになりました。高校の時のフォームの方が速かったと思います。打者でもう少し打てる打者が2,3人いれば3年まで待たず甲子園まで来て、優勝もできたと思います。
自分は江川と同い年です。春休み、TVで観てました。とにかく凄い投手、江川が投げた時はプレートとホームベース間が短く見えていた。速くてホップする球、当時は木製バットに素手、それに大体の高校はピッチングマシンなんて持ってなかった時代。広商はこの映像以外にも1つの作戦を使っていた。江川がモーションに入る時、観客席は「ワー」と少しずつ盛り上がってきて投げた球がバシッっとストライクになると「ワァッ!」と歓声があがる。いつしかこれが江川のリズムのようになっていた。しかし広商は要所でモーション入る直前にタイムをかけてリズムを壊していた。結果、映像の通り疲れも重なりボール球が多くなったようだ。しかし超凄い投手には変わりなかったと思う。この選抜が終わった頃、やはり同い年の浅田美代子が唄った「赤い風船」がヒットしていたのも同時に思い出します。
江川と比較するのがおかしい。違いすぎる
現役早い引退をしましたが!江川の歴史は絶対塗り替える事はまず無いです、沢村賞を逃した空白の一日事件!のせいであの件を作ったことでも滅茶苦茶凄い御方
プロ入り後の140㎞台前半のストレートと大谷の160㎞との比較動画があるけどリリースからキャッチャーミットに収まるまでほとんど差はない本人も周りも高二の秋が一番速かったと言ってるから現代のスピードガンで測れば160㎞以上は軽く出ていたことになるまぁこんなこと言っても意味無いけど・・・
今のスピードガンで計ればガン出始めの頃の投手でも160キロ超えの投手はちらほらいるんじゃあないかな。高校江川もその可能性はある。23年にサイ・ヤング賞投手のDeNAのバウアーが投げてるとき、江川がゲストで来ていたのだが、江川が「バウアーのスピードどのくらい出てますか?145キロぐらいですか?」とアナウンサーに聞いた、アナウンサーが155キロですと答えたらちょっとびっくりしてたような感じだった。多分江川にはバウアーの球は自分たちがやってた時のガンでは145キロ程度のスピードに見えたんだと思う。
この時、広商のキャッチャー達川なんだよね。
慶応落ちてニュースになったのは江川だけw
やはり優れている点は存在感だと思います。少なくとも135勝の江川卓を野球殿堂入り投手と比較している時点で、あなたにとっても非常に関心が高く忘れられない選手なんじゃないですか?まさに怪物江川ですね!!
静岡県西部の天竜川沿いをときたま、車で北上することがある。その昔には銅鉱山があり、技師だった江川の父親が勤務していた地。子供時代の江川は暇に飽かせ、小石を対岸に届くよう投げ続けたという。大河天竜は、相当北上しても川幅は凄く広い。いつしか凄い強肩となったという「江川伝説」が、この地には伝わる。じっと川面をみつめていると、ひょろ長い男の子の「よっしゃー」といった声が聞こえて来そう
1:03 江川さん、かわいぃ(#^.^#)☆
甲子園と昭和56年の江川の球は速くてホップしていた。私の中で速い球と言えば、そのときの江川と阪急の山口です。
浩勝亦 さん まったく同じです。阪急の山口さんも、本当速くてホップしているように見えました。このときの江川さんにも、恐ろしさを感じました。
当時の江夏より速いとは!半端ない!
「高校の時、秋の国体で投げてきた江川君はブンブン投げてきたんですが、その時を10とすると5ぐらいですよ。彼、力入れてないんじゃないですか?」対戦敗北を喫した慶大一年永島の言。それでも江川卓投手、六大学一年秋のリーグ戦6勝。確かに法大一年の時の速球は前年甲子園時と見比べて、信じれないくらいのスロー速球でした。しかし、それが本当に140km/h出ていたなら…。ネガティブ情報のつもりでの投稿でしょうが、かえって江川投手が時代を超える怪物投手であった事の証になりました。感謝です!(笑)
この当時はビデオも一般には普及してないし、バッティングマシーンも普及してなかったから、対策が難しかった。 今は、全国区の投手は研究されちゃうからね、江川クラスの衝撃を与えるピッチャーは出てこないだろね。
マイケル田吾作 それはいえる!!
高校時代のフォームを見るとグラブが脇の下にピタリと収まっている。プロ入り後は20勝したシーズンでさえグラブが身体から少し離れていて、晩年に向かうにつれさらに垂れ下がっていく。著書でグラブの位置に関してフォームが悪くなった旨を証言しているので、全盛期と言われる20勝した頃でさえ本人からすると本調子ではなかったらしい。
0:25高校生のレベルから図抜けてたと王が言ってるがプロ入り後もプロのレベルから図抜けてたのが江川。でも数字にはその凄さが出てこない。理由は簡単で手を抜いていたから。インハイのフォーシームが決まれば誰にも打たれないのが快感で他はどうでもよかったらしい。
美化するも貶めるも、どっちもどっち。今と比べようが無いんだから。はっきり言える事は、それまで誰も見たこと無いような領域にたどり着いた凄い人だったって事でしょ。
高校時代の江川選手を、プロの速球投手と比較すること自体、すでに過小評価をしていると思います。江川選手は、法政大入学当時は、すでに肩を痛めていたらしい。又1年時に、肩を疲労骨折をしています。それでも、オールスターで8連続三振を記録しています。プロで8回、9回に簡単に150Km中盤の球を放っていたのです。別格です。プロの打者のバットに球が当たらないんです。●人生で見た、最も速いストレートは、という質問に、・巨人篠塚選手は、高校時代の江川さんと言っています。 (広島 達川さん、北別府さん、阪神の掛布さん、も同じコメント)。 篠塚さんは、高校時代の江川さんの球を見ているので、プロ野球の投手の 球を速いと感じることはなかった とコメント。・広島の北別府さんは、高校時代に対戦したとき、バッターボックスで さあ、と思ったら、ミットに球がは入っていた、見えなかった とコメント。
この速さと球質なら、今の選手でも打てないよ。
高卒で阪急入ってたら、山田山口足立稲葉等のローテで東尾のような登板過多はなく順調な成績をおさめる。150勝くらいの27歳くらいにアメリカ、自民党代議士、日本プロ野球機構と阪急トップとの間で政治的な力で自由契約。野茂より早くドジャースに入団。その後30代半ばまでやって大金かせいで日本食レストランオーナー 巨人指名求めて大学と巨人浪人と5年も時間浪費したり、思考が才能の小さい器にならず、メジャーに行きたい希望があり飛行機嫌いが克服されたら、という妄想をさせるくらいの伝説の人
プロ時代より高校当時の江川投手の方が数段速い豪速球を投げていたという事実は、それを見ることの無かった世代には、どうしても信じられない事なのだろうと思います。ですからそんな自分の見識の無さを必死に正当化する為に「大した事無い」理由をこじつけたくなるのでしょう。でもね、本当に速かったんですよ(笑)
saritote1 江川初登場となった選抜高校野球開幕戦の作新学院北陽高校の試合が怪物江川の全国デビューでしたね今みたく150キロ超のマシーンが有れば打てたかもしれませんが当時の高校野球は水飲めない水泳ダメ筋トレなしの今の高校野球とは次元が違ったみんなヒョロヒョロの体ですね今RUclipsを見るとあの江川さんでも今見ると細かった部類です
江川は高1から完全試合を達成。地区予選、関東大会、甲子園と何れも準決勝以上投げぬいていたので登板過多。彼の速球は、高1高2のときが一番早かった。法政や巨人では肩を壊していて略抜け殻状態で投げていた。
センバツの各試合の映像も観てみたいものですが、もう断片的にしか残ってないのかもしれませんね。
なんかね、江川さんのように豪速球を投げられるようになるには、小学校入学と同時に、幅100Mの川の向こうまで石を投げれるまで毎日練習することです。
やり方まちがえたら肩肘壊して無事終了
@@ブラックパールハーバー ということは全く無事な終わり方ではない。
江川はこれだけ高校時代からすごかったのに、東海大の原辰徳にホームランを打たれる神宮大会大学の部の映像って残ってないのが何より不思議です。
負けてませんよ
江川はどこまでついてこれるか相手をテストする癖があったと言われており原に2安打その内1ホームランでしたが次の打席は三振とっております。
江川以外高校野球で怪物はいません。北陽高校の試合を生放送で見て以来江川以上の投手をまだ見ていません!
マジで凄すぎて、後にも先にも。最初は応援していたが、広島商が勝った時には何故かホッとした。あまりにも凄すぎる江川に、逆に腹が立ったのかなあ。
江川に投げ勝った土屋(銚子商)はどうしちゃったんだ?
保険代理業しています
江川さんのほかに、大橋さんという右下手投げの好投手が控えでいたと思います。ただ、打線が弱かった。あまりにも。
控え投手がドラフト2位で大洋ホエールズ入団というのも凄い。
ここまで皆が言い争いになっている時点で怪物
◇今、江川さんの大学時代の資料を集めていますが、「155Km/h以上投げていた」のは・・・高校2年夏~高3秋まで。大学・プロではそんな球投げていません。大学1年春に体重が94kgあり「デブ」「力士」みたいに言われ登板は1。秋に体重戻すもその前に「投球フォームを忘れた」事件。東大に2試合で7点も取られるレベル。大学2年春にも「フォームをかえる」と試行錯誤。結局そんな感じでプロの最後まで・・・(それで通じたのが凄い!)。間違いなく最も速かったのは~「高校時代」。
昔を馬鹿にするために謎理論を展開する奴は多いけど、今の中学生でも打てる、は根拠なさすぎて大草原
江川さんは、プロの阪神戦で甲子園球場で投げているのを見ましたが、とにかく球の回転がきれいなので、球の伸びがあるように見えます。私は佐々木主浩さんの方が速かったように思います。この時の作新学院がもう少し打てる打線を持っていたら、選抜か選手権どちらかで作新は優勝できたでしょう。
江川を藤川や大谷と比較してるやつマジで野球知らないな球速は速いかもしれないが江川は次元が違ったわ
アレクサンドロコジコジ 江川の次元が違っていたというよりも木製バット時代の高校生打者レベルの次元が違っていた。もちろん低いほうでね。
なんで金属バット時代の高校生はレベルが高いのだろう。芯を食わないと飛ばない、木製バットで練習してた高校生のほうが上達すると思うが。。。そこのところ教えてください。
こん こん 何も難しく考えることは不要ですよ。打者進化→投手更に進化→打者更に進化→投手更に更に進化→打者更に更に進化→▪▪▪▪▪で時代は流れているのです。今より昔の方がレベル高いなんてことは100%あり得ませんのでね。
その進化の結果が今のプロ野球ですか。あまり迫力感じないんですけど。。。
こん こん 恐らく貴方が感じる「迫力」とは、打者との「相対的な差」なのでしょう。貴方が感じる「迫力」を例えて言うなら、そこそこレベルの高い投手が素人さん打者を次々と三振に仕留める姿にさえも迫力を感じる御方のように思います。私は「絶対的な力」に迫力を感じますが、恐らくこれは野球経験の差だと思います。
確かにこのナレーターは星一徹だ。
高校時代だけなら江川がNO1
江川君とは同い年で誕生日も近いので高校時代からプロ入団後も目が離せない存在でした。
他人事には思えない親近感を勝手に持ち続けた同じ時代の大ヒーローでしたね。
大学へ進学せず、また巨人軍に固執せずプロに進んでいれば確実に300勝以上の成績を残した天才中の超天才投手でした。
全身バネの様な体幹と脚腰。そしてムチか柳の様な、しなやかな肩・腕・手首への連動性から放たれた伸びのある制球と球威は文句無し・お見事な球筋だ。ものが違う仕上がりに惚れ惚れするね。
正にプロ野球投手に成る為に生まれて来た様な逸材です。
江川君の前後に江川君無し。
昭和の怪物の前では平成の怪物も小さく見えるのは私だけだろうか?→ものが違うね。本物の怪物。
突出度では江川卓さんが歴代№1だと思います!ストレートの球質もです。
しかしながら、球速や多彩な変化球現代の野球のレベルの高さで残した成績から、歴代№1はダルビッシュ有、大谷翔平だと思います!
やはり、怪物江川は凄いです。もう、二度と出ない逸材だと思います。高校時代の投球をバックスクリーンから見たかったですね。
江川の美しい投球フォーム、好きでした。浮き上がる球筋は、神道!
北陽戦、生で観ました。北陽は優勝候補だったのに、手も足も出ない。夏の大会は江川大会と言われた。こんなに凄い高校生はもう出てこないでしょう。
僕も、そう思います。
私もそう思います。
同意します
どんでん岡田氏がこのとき北陽の一年生だったそうですがRUclipsで「有田さんが三塁打打ったんよ、そしたら次の打者に監督が出したサインはホームスチール。バットに当たらんと思ったんやろね。」
何と言っても フォームが美しい
江川のピッチングそれ自体がエンターテインメントだった。ホームランも何もなくても江川の大量三振を見るのがお目当てで球場に行く人が大勢いたのだ。球速だけではない何かがあったからだ。
リアルタイムで見ました。
マウンドに立った江川は身長3メートルの巨人に見えました。
それぐらいの存在感。
そして短く持ったバットに掠りもしない剛球。
当時の高校生も動体視力はそう変わらないはず。
何とか当てられる大谷の165キロより遥かに凄かった。
その再現を夢見て引退するまでずっと彼に引きずられた。
1984年のオールスター8三振。
その輝きを一瞬見せて彼は去って行った。
江川卓こそ日本一の投手です
あの体重の乗ったフォームから微動だにしないずっしり重く鉛のように速い球…けた外れだったから怪物という表現しかなかったそれほど凄かった…長年野球を見てきたが怪物というのは江川だけである、あのときの江川はプロ野球を含めても頭一つ抜けていた…正に怪物だった
速いも何も高校生なんて思えないスピード。とにかくお化けの様な投手でしたよ。
江川を見たら、どの投手を見ても、、、選抜のVTR持ってる人いないかな
もう一度見たい
選抜で対戦した小倉南OBです。高校時代の江川卓投手を生で見た人にしか分からない、甲子園の怪物と言う言葉はこの人だけの為に有ると思います。なんびとたりとも比べる事態がおかしい次元が違う高校生でした。予選も含めた数字が全てで有る。
私も見ました。有名な剛速球投手は大概見ましたがレベルが全然違います。
ほとんどのバッターは速過ぎてボールが見えないと思いますよ。
江川に関しては 貴方が書かれたことが全てです 見たことない人には決して分からないでしょう
江川さんと対戦し、その後プロ入りされて大活躍された篠塚さん石毛さんも一様に同じ話をされています。
篠塚さんなど『あのボールを見たからプロ入り後も、他の投手が投げるスピードボールを一度たりとも速いと思った事は無い』とまで断言されてます。
その期間だけを括るなら、沢村さん金田さん稲尾さん、レジェンドを超える(プロアマの枠を超える)日本一の投手だったのではないかと思っています。
俺の中では江川は一番ワクワクドキドキで見ていたこんなピッチャー後にも先にもいない
突出度は江川卓さん歴代№1ですよね!
正直江川さんより、現代の怪物大谷翔平、ダルビッシュ有、田中将大の方がレベルは高いと思います。
球速や多彩な変化球を投げられるため、現代野球の高いレベルで大活躍してるでしょう⚾
ただ、江川さんのストレートが良すぎますから球質と突出度は江川さんに軍配が上がるかと思います。
江川の場合、ストレートとカーブだけだもん。
大学時代は早稲田の岡田(元・阪神)相手の時だけ、『シュート』投げてたそうだけど、今の感覚だと右バッターの内角を攻めるカットボールじゃないかと…
@@テヨン-g1t
変化球は必要無かったんだよ
事実高校時代はほぼストレートだけで抑えられたしプロでも晩年スライダーを加えたぐらいで15勝出来てたんだから
現代の高校野球にまっすぐとカーブだけで通用するかと言われれば不毛な議論になってしまう
@@テヨン-g1t 要するにストレートが空振り取れないから、いろんな変化球覚えないと駄目なんですね、オールスターの佐々木朗希のストレートでも三振はしない。
高校時代の躍動感がすごい
ダイナミックなフォームと体のバネは佐々木朗希に通じるものがある
さらにボールがホップするとなれば現代でも打てっこない
2週間前に江川の柳川商戦がyoutube にアップされ再生数が40万を超えました。今後100万200万と増えるでしょう。
まさに史上最高の超怪物‼️江川卓‼️
小学生の頃、草野球をやっていてスコアブックをつける練習の為に選抜高校野球を記録していたら、突然江川がKの嵐で度肝を抜かれ、それからずっとファンです。
◇その「スコアブック」今もありますか?
それが観てみたい。
北陽との試合では、ナインから三振ばかりでは練習にならないとの声が上がったため、後半は力を抜いて打たせたとのことだから、ずっと全力でいけば三振は20個以上取ったのではないか。
大学時代、ブランク時代が残念でならない。プロ野球で早くから存分に活躍してほしかった。
あの、あの王の、王貞治の口から江川を評価するコメントが出るって言うそれだけで、ジーンときた。
ナレーションが星一徹なのもGOOD。
「作新学院 江川卓」中学二年生の春の衝撃的な登場でした。地方の野球少年の心をワシヅカミにしたその圧倒的存在感は半世紀たってもくっきりと蘇ります。その後いろいろ汚名もかぶりましたが、高校野球時代の傑出した足跡だけで充分不世出だと思います。
やはり球がバットに当たらないのは凄かった 県大会で自責点0とか
3試合連続ノ-ヒットノ-ランとかは誰もやってないと思う
比べる投手はいない
江川の凄いのは完全試合2回含めてノーノー10回以上。特に1973年の選抜には地区大会など28試合投げて140イニング無失点の防御率0.00で選抜出場。開幕戦は優勝候補だった西の横綱北陽と開幕戦で対決。ここまで28勝0敗負け無しの怪物江川に、
(相手投手は後に近鉄ドラ2で入団)強打の北陽打線も空振り三振の連発。
準決勝で広島商のダブルスチールの奇襲で
捕手のサード悪送球が決勝点で負ける。この負けた試合も被安打は僅かたった2本。この敗戦から夏の選手権大会
までに、再び140イニング連続無失点を江川はやり甲子園に出場してる。夏の予選は初戦がノーノー、2回戦は被安打1の完封、準々決勝も被安打1、準決勝決勝は再びノーノー。45イニング投げ奪三振75被安打2に抑えてる。高校時代の江川は
記録も豪速球も桁違いに凄かった。平成の怪物松坂とは比較にならない。その証拠に江川は高校時代は大量失点は一度もない。強豪横浜や銚子商は江川からチーム4本のヒットが
目標だった。怪物江川卓は戦後高校野球の間違いなく
史上最高の投手である。最後の夏の甲子園は2試合で27イニング投げ自責点2、最初の柳川商戦では15イニング投げて23奪三振、次の銚子商戦は雨の中、延長12回押し出しサヨナラの1-0負けで昭和の怪物江川の夏は終わった。因みに前年の昭和47年の高校2年生の時に記録した、栃木県予選の36イニング連続無安打無失点は未だに破られない日本記録である。
読んでるだけで鳥肌が立つ!まさに怪物!
懐かしい、昭和48年七月栃木県夏の大会決勝戦をテレビで見た瞬間下馬評通り納得映像でも解る全てが、こういう投手は二度とでない。
実際に高校3年時の江川と練習試合ではあったが対戦した者です。
江川の球質はちょっと別次元なくらい違っていたように思う。
スピードも勿論速かったが、そのライズするような球質は想像以上でした。
投げた瞬間に低い、ボールと思ったボールが手元では高めに入ってくるような球質でした。
体格もオッサンくさいくらい立派でした。
BIGDRIVE333 貴重な証言です。私は老人で昔は甲子園見てましたが比類ない感銘を受けたのは江川です。力投型でなく軽く投げているようで躍動的。人生で一番楽しませてくれた投手です。硬式野球部経験者のはしくれです。
あの球威はいまの選手に伝授できないのかな?ホップするストレート❗
物理法則からホップというのは無い。けど、球が手を離れた時とホームを通過する時の球速差が殆ど無ければ(普通の投手なら有る)、まるで浮き上がってくるように見えるもんなんだって。
初速と終速の差がごく僅かなんでしょうね。全盛期が高校時代だとしても、オールスターでの落合含め8連続三振は見事でした。
誰が何と言おうが、すごい物はすごいし、見ていてワクワクしてしまう、というのは、感じる人は感じる、それでいいのではないのでしょうか。
最初の映像だけでもめちゃくちゃ速いよ。160キロ出てるような回転スピード。
今言うんだけど、あの貫禄というか投げ方は江夏の雰囲気と似ているね。これ本当!
初速と終速が余り変わらなかったのが江川ですね。球が伸びるような感じでしたね。
やっぱり甲子園の怪物は江川
作新学院、、と言えば 江川...と頭に浮かぶ
その素質から言えば、実働9年で135勝でも物足りなく感じる。
仮定の話だが、もし高校からプロに行っていれば倍は勝てただろうし、もっとタイトルを取っていただろう。
速さだけならチャップマンみたいな化け物には敵わないと思うよ。江川のピッチャーとしての魅力はいろいろあるけど、一番の魅力は球筋だよ。
彼の速球の球筋は実に美しかった。この一点において他の追随を許さず。
作家の故立松和平が、高校時代の江川は「投げるたびに伝説ができる」とおっしゃってたな。
右の本格派数々観ました。
山口高とかも生で観ましたが、やはり、江川がピカイチです。
僕も北陽との試合も観ましたが、うなりをあげる速球を間近で観たのは江川だ。
江川の何が凄いかっていうと、今のようにインターネットで簡単に情報をキャッチできなかった時代に、甲子園に出る前から都市伝説を作っていたこと。こんな選手はもう出てこないでしょうね。
凄いのではなく、大人と子供ほどの力の差!不世出の天才!
王さんや記者、審判の専門家の人が言ってる、間違いない。
高校を100としたら大学時代は手抜きの80、一浪して巨人は初年度は登板機会が6月以降。19から24歳、大学4年浪人1年巨人1年目の6年間がもったいない半端なキャリア。いい時期を集中力やる気が出たプロの現場に高卒で行って欲しかった。楽々200勝で第二期長嶋巨人のユニホーム着てたかも
高校時代の江川は凄い投手だったんですね。即プロになっていればと考えると大変惜しい気がします。
5:47の投球フォームは世界最高の投球フォームですね。
これを現代に再現出来るような指導を出来る人は居ないのでしょうか…?
あのフォームを真似させると投手がつぶれてしまうとどこかの高校の監督が言ってました。
巨人時代に松本に次ぐ俊足等、おそらく身体能力も飛び抜けていたのでしょう。
後楽園球場でバイトしてたとき、真横から見る江川の球の伸びは、ほかの投手と比較にならないほどのモノでした。そして、あのカーブ・・・腕は振り切れているのに、まだボールは顔の真横に残っているかのような錯覚に陥りました。見ている者のタイミングが狂うほどの投手は、江川以来見ていません。
* 西園寺ムーポン m
1975~2010年頃までシーズン中は、ほぼ毎日中継・ニュースでプロ野球を目にしていました。その中でバッターが軌道よりボール2~3個分下を振らされていたのは、巨人の江川・阪神の藤川くらいでした。彼らが試合で投げるストレートは145~150km前後でした。同時期にはロッテの村田兆治、中日の小松辰雄、そして藤川の時代には松坂など150~155kmを常時投げる投手はいましたが、彼らの様なバッターが歯が立たないストレートではなかった感じがありましたね。
プロに入ってからの江川の投げた試合はほとんどテレビで見ていたが最速は153キロでした。それでも高校時代のほうがもっと速かったと言われています。江川の場合は最終回に一番球速が出やすいことから相当余裕持って投げていたように思える。当時は完投が当たり前で、途中で降板するときはスタミナ温存による手抜き投法で打ち込まれたことが多かった。
江川が高卒でプロ入りしてたら300勝は間違いなかったでしょう‼️皆さん色んなこと言ってるけど当時の江川に匹敵したのは浪商から東映に行った尾崎行雄位でしょう‼️尾崎行雄も本当に凄かったです😆🎵🎵当時大毎の4番の山内を新人のオープン戦で3球3振でかすりもしなかったんだから。
江川同様ポップするから打者は本当に打ちあぐねてましたね。
とにかく江川と尾崎行雄は別格ですね😃
何せ、世界の王さんが言ってるんだから間違いない。
昭和52年、栃木県生まれです。
作新学院時代の江川氏の「伝説」は、江川氏が巨人を退団したあと、90年代でも地元では語り継がれていました。いわく、県予選ではとにかく相手打者のバットが球にかすっただけでスタンドからどよめきが起こったとか。
去年夏の甲子園での「レジェンド始球式」に江川氏が登場しなかったのは意外でした。
江川はプロでも150キロ以上投げてるし、高校時代でも150ぐらい投げてたのは間違いない。尚且つ、投げるとき球離れを遅くしてスピンの多い球を投げていた。速度以上に速く感じる球。しかも制球力が高い。これで落ちる系の強力な変化球を持っていたら当時のアメリカでも通用したかも
沢村➔金田➔江夏➔江川・・・天才の系譜です。
友人の父が作新学院vs北陽の試合ビデオ所持しているの見せてもらったが確かに速かった。
160キロ近く出ていたような気がする。
羨ましい!あの試合、テレビで見てました。
VTR観たいなぁ
5年前に作新が優勝したときのエース今井達也が初戦の尽誠学園戦で完封して全国デビューしたとき、江川の北陽戦をふと思い出しました。
先日練習試合で桐光松井が選抜覇者浦学に7-0の1安打無四球完封18奪三振で勝利した。
坂東英二83三振を超える可能性がある投手は彼しかいないと思う。
今年から、準々決勝終了後1日休養日が入る。連投と不平等の解消にある。
奪三振ショーは江川以来かもしれない。
江川投手が作新学院を甲子園に連れていき、雨中の試合で満塁、押し出しで負ける。江川投手がナインに「思い切り投げて、外れても良いか」 ナインは「良いよ」 押し出しで負けたのを覚えています。印象深い
王さんは監督時代に江川と反りが合わないと言われていたが、やはり実力は認めていたんだな。
江川のことや当時と今の違いを正しく理解されていない書き込みも多いので、一言。
●江川投手が法政大学2年の時に故障したことはよく知られています。さらに、大学を出てからの1年間の浪人時代を過ごしたため、プロに入ってからの
●木製バットと金属バットの違いについて、スイートスポットの広さと反発力に違いがあるので、バットに当てられなければ関係ないですね。江川の球をバットに当てただけで騒がれてましたから。
●球速について、対戦相手が江川と戦う前に投手を2m前から投げさせて速球対策をとろうとしても当てられなかったり、ホップする感覚に対処するためにバットを短く持って上から叩こうとしても当てられなかった事を考えると、他の投手より1割以上は速かった事は確かかと。
●当時と今の打者のレベルについて、子供の頃、スポーツをする子供の大部分が野球をやって、そこから能力が高い子だけが野球を続けていた江川の時代と、子供の頃に運動能力が高い子はサッカーを選んで、それ以外の子が野球をやるという今の時代とでは、前者の方がレベルが高いと思います。
江川卓さんの突出さとストレートの球質は歴代№1ですね!
でも、歴代№1はメジャーでも大活躍のダルビッシュ有、大谷翔平かと。165キロのストレートや多彩な変化を投げられます⚾
江川さんが現代メジャーを相手にストレートと2種類のカーブではなかなか太刀打ちできないかと。
今よりはレベルの高くない当時の外国人に一発病で食らうことが多々ございました。
春の選抜大会で「怪物江川」の存在を知り、5月のゴールデンウィークに「ご当地」に交流し合いで作新学園がやって来ました。バックネット裏で観戦しましたが聞きしに勝るストレートで「浮き上がる」投球を見ました。7回までヒットは1本、まぐれ当たりでセンター前にぽってんヒット。7回で交代してしまいました。3年生で年は1才下でしたがスゴイ男がいるものだと感心、夏の大会が楽しみでした。
当時 高校生の江川が甲子園球場で投げたら→観客たち「高校野球でこんな速い球を投げていいのか⁉️」と思ったそうですよ。
江川が在学中に作新の打線が良かったら、何季連続で全国制覇してただろうか?
当時観てました、江川は凄かったと言う記憶しかないし疲労からだと思っていたが、この動画を見て再認識するのは、戦略・戦術としてのチームプレイで豪腕・江川の牙城も崩れた。野球の奥深さだな。
俺は、60歳代、関東の住人ですよ。高2の栃木県大会で江川を見てる。
球筋は違うが江夏並みに速かったと思うよ。7年後楽園のネット裏で見た150KMの小松よりも速かった。巨人時代の1983年に見た江川は、ピッチングは上手くなったがスピードは鈴木孝正くらいになってて残念に思ったな。プロに入って速かったのは1982年(26歳)まででしょうね。しかしなにしろ高校時代はすさまじかったのは確か。
色々言われてますが、松坂よりも速かったことは松坂が高校時代の時の監督が言っていたので、確かでしょう。
江川と比較するにあたり、渡辺さんはわざわざ教え子である松坂の方を褒めたり上げたりするような世間知らずな指導者ではありませんからね笑
でも球速は間違いなく松坂の方が上ですよ
江川は球速もそれなりにはあったでしょうけど、当時ではあまり見慣れないホップ軌道の球筋のお陰で打たれなかっただけですから
史上最高のピッチャーですね😊
今治西はここで江川にもやられていたんだね
いまの時代のほうが総じてレベル高いのは自明の理ですが、個人のポテンシャルは時代関係ないです。江川も、たとえば桑田真澄も伊藤智仁も、全盛期の彼らが現代でプレーしたって、エース級の活躍をするでしょう。
江川の当時を知らない人間があーだこーだ言うのはおかしいぞ?
江川の登場は当時では社会現象。松坂、桑田・清原、大谷・藤浪の比ではない。
NewJackInta 確かに。そうだな。
誰を比較するにしても打たれた安打数を考えれば江川が別次元だったのは明白
この時代だと最強ピッチャー 今の高校野球じゃ同じ活躍はできないと思う それくらいの現在とのレベル差はあるのでは? でも、150kmは出てますね ボールの回転も凄いし
@@7709281 ◇これ見れば「通じる!!」となるはず。
こんな球筋のボール投げる投手、現在一人も存在しない。浮き上がってくる球。これで七分投球。
さらにまだ全力で投げられたら?(まず打てない)
昨夏、NHKが’73年投球を画像解析し~「163Km/h」と放送。
(2:03からどうぞ~)
ruclips.net/video/ab9LiChLl38/видео.html
昭和48年の怪物はハイセイコー、江川、輪島
には怪物の冠が
横浜高校の監督が松阪より断然江川と言ってるからどれだけ凄かったのか見たかった
やはり夏の時とは違う投球フォーム。夏の時は足を上げて降ろすとき三塁側にか身体が傾きかける感じになってスリークォーター気味な投げ方が目に付く時があるが、センバツの時は先ず有りません。これはセンバツ後の高野連による招待試合の駆り出しによる蓄積した疲労によるものでしょう(栃木から愛媛の遠征も有り。そこで西本投手との出会いはあったが・・)。江川さんは最近この駆り出しの事を批判する様になり、水野さんもセンバツ優勝校池田の招待試合への駆り出しによる疲労(徳島から沖縄への遠征有り)で夏は脇腹を痛めていた事を話しています。センバツで優勝したり目立って活躍した学校程、夏に向けコンディションを整える事が必要なのにそれを崩す事をし、夏に向けて何の注目を浴びないが故にしっかりコンディションを整えて来た学校がノコノコ優勝するのは実にフザけた話(例1983年夏のPL学園)です。招待試合駆り出しにも高野連は考慮しなければならないのでは。
プロに入って、足を跳ね上げて投げるようになりました。高校の
時のフォームの方が速かったと思います。打者でもう少し打てる
打者が2,3人いれば3年まで待たず甲子園まで来て、優勝もで
きたと思います。
自分は江川と同い年です。春休み、TVで観てました。とにかく凄い投手、江川が投げた時はプレートとホームベース間が短く見えていた。速くてホップする球、当時は木製バットに素手、それに大体の高校はピッチングマシンなんて持ってなかった時代。広商はこの映像以外にも1つの作戦を使っていた。江川がモーションに入る時、観客席は「ワー」と少しずつ盛り上がってきて投げた球がバシッっとストライクになると「ワァッ!」と歓声があがる。いつしかこれが江川のリズムのようになっていた。しかし広商は要所でモーション入る直前にタイムをかけてリズムを壊していた。結果、映像の通り疲れも重なりボール球が多くなったようだ。しかし超凄い投手には変わりなかったと思う。この選抜が終わった頃、やはり同い年の浅田美代子が唄った「赤い風船」がヒットしていたのも同時に思い出します。
江川と比較するのがおかしい。違いすぎる
現役早い引退をしましたが!江川の歴史は絶対塗り替える事はまず無いです、沢村賞を逃した空白の一日事件!のせいであの件を作ったことでも滅茶苦茶凄い御方
プロ入り後の140㎞台前半のストレートと大谷の160㎞との比較動画があるけどリリースからキャッチャーミットに収まるまでほとんど差はない
本人も周りも高二の秋が一番速かったと言ってるから
現代のスピードガンで測れば160㎞以上は軽く出ていたことになる
まぁこんなこと言っても意味無いけど・・・
今のスピードガンで計ればガン出始めの頃の投手でも160キロ超えの投手はちらほらいるんじゃあないかな。高校江川もその可能性はある。
23年にサイ・ヤング賞投手のDeNAのバウアーが投げてるとき、江川がゲストで来ていたのだが、江川が「バウアーのスピードどのくらい出てますか?145キロぐらいですか?」とアナウンサーに聞いた、アナウンサーが155キロですと答えたらちょっとびっくりしてたような感じだった。
多分江川にはバウアーの球は自分たちがやってた時のガンでは145キロ程度のスピードに見えたんだと思う。
この時、広商のキャッチャー達川なんだよね。
慶応落ちてニュースになったのは江川だけw
やはり優れている点は存在感だと思います。少なくとも135勝の江川卓を野球殿堂入り投手と比較している時点で、あなたにとっても非常に関心が高く忘れられない選手なんじゃないですか?
まさに怪物江川ですね!!
静岡県西部の天竜川沿いをときたま、車で北上することがある。その昔には銅鉱山があり、技師だった江川の父親が勤務していた地。子供時代の江川は暇に飽かせ、小石を対岸に届くよう投げ続けたという。大河天竜は、相当北上しても川幅は凄く広い。いつしか凄い強肩となったという「江川伝説」が、この地には伝わる。じっと川面をみつめていると、ひょろ長い男の子の「よっしゃー」といった声が聞こえて来そう
1:03 江川さん、かわいぃ(#^.^#)☆
甲子園と昭和56年の江川の球は速くてホップしていた。
私の中で速い球と言えば、そのときの江川と阪急の山口です。
浩勝亦 さん まったく同じです。阪急の山口さんも、本当速くてホップしているように見えました。このときの江川さんにも、恐ろしさを感じました。
当時の江夏より速いとは!半端ない!
「高校の時、秋の国体で投げてきた江川君はブンブン投げてきたんですが、その時を10とすると5ぐらいですよ。彼、力入れてないんじゃないですか?」対戦敗北を喫した慶大一年永島の言。それでも江川卓投手、六大学一年秋のリーグ戦6勝。確かに法大一年の時の速球は前年甲子園時と見比べて、信じれないくらいのスロー速球でした。しかし、それが本当に140km/h出ていたなら…。ネガティブ情報のつもりでの投稿でしょうが、かえって江川投手が時代を超える怪物投手であった事の証になりました。感謝です!(笑)
この当時はビデオも一般には普及してないし、バッティングマシーンも普及してなかったから、対策が難しかった。
今は、全国区の投手は研究されちゃうからね、江川クラスの衝撃を与えるピッチャーは出てこないだろね。
マイケル田吾作 それはいえる!!
高校時代のフォームを見るとグラブが脇の下にピタリと収まっている。
プロ入り後は20勝したシーズンでさえグラブが身体から少し離れていて、晩年に向かうにつれさらに垂れ下がっていく。
著書でグラブの位置に関してフォームが悪くなった旨を証言しているので、全盛期と言われる20勝した頃でさえ本人からすると本調子ではなかったらしい。
0:25高校生のレベルから図抜けてたと王が言ってるがプロ入り後もプロのレベルから図抜けてたのが江川。でも数字にはその凄さが出てこない。理由は簡単で手を抜いていたから。インハイのフォーシームが決まれば誰にも打たれないのが快感で他はどうでもよかったらしい。
美化するも貶めるも、どっちもどっち。今と比べようが無いんだから。はっきり言える事は、それまで誰も見たこと無いような領域にたどり着いた凄い人だったって事でしょ。
高校時代の江川選手を、プロの速球投手と比較すること自体、すでに過小評価をしていると思います。
江川選手は、法政大入学当時は、すでに肩を痛めていたらしい。
又1年時に、肩を疲労骨折をしています。
それでも、オールスターで8連続三振を記録しています。
プロで8回、9回に簡単に150Km中盤の球を放っていたのです。
別格です。プロの打者のバットに球が当たらないんです。
●人生で見た、最も速いストレートは、という質問に、
・巨人篠塚選手は、高校時代の江川さんと言っています。
(広島 達川さん、北別府さん、阪神の掛布さん、も同じコメント)。
篠塚さんは、高校時代の江川さんの球を見ているので、プロ野球の投手の
球を速いと感じることはなかった とコメント。
・広島の北別府さんは、高校時代に対戦したとき、バッターボックスで
さあ、と思ったら、ミットに球がは入っていた、見えなかった とコメント。
この速さと球質なら、今の選手でも打てないよ。
高卒で阪急入ってたら、山田山口足立稲葉等のローテで東尾のような登板過多はなく順調な成績をおさめる。150勝くらいの27歳くらいにアメリカ、自民党代議士、日本プロ野球機構と阪急トップとの間で政治的な力で自由契約。野茂より早くドジャースに入団。
その後30代半ばまでやって大金かせいで日本食レストランオーナー
巨人指名求めて大学と巨人浪人と5年も時間浪費したり、思考が才能の小さい器にならず、メジャーに行きたい希望があり飛行機嫌いが克服されたら、という妄想をさせるくらいの伝説の人
プロ時代より高校当時の江川投手の方が数段速い豪速球を投げていたという事実は、それを見ることの無かった世代には、どうしても信じられない事なのだろうと思います。
ですからそんな自分の見識の無さを必死に正当化する為に「大した事無い」理由をこじつけたくなるのでしょう。
でもね、本当に速かったんですよ(笑)
saritote1 江川初登場となった選抜高校野球開幕戦の作新学院北陽高校の試合が怪物江川の全国デビューでしたね
今みたく150キロ超のマシーンが有れば打てたかもしれませんが当時の高校野球は水飲めない水泳ダメ筋トレなしの
今の高校野球とは次元が違ったみんなヒョロヒョロの体ですね今RUclipsを見るとあの江川さんでも今見ると細かった
部類です
江川は高1から完全試合を達成。地区予選、関東大会、甲子園と何れも準決勝以上投げぬいていたので登板過多。彼の速球は、高1高2のときが一番早かった。法政や巨人では肩を壊していて略抜け殻状態で投げていた。
センバツの各試合の映像も観てみたいものですが、もう断片的にしか残ってないのかもしれませんね。
なんかね、江川さんのように豪速球を投げられるようになるには、小学校入学と同時に、幅100Mの川の向こうまで石を投げれるまで毎日練習することです。
やり方まちがえたら
肩肘壊して無事終了
@@ブラックパールハーバー ということは全く無事な終わり方ではない。
江川はこれだけ高校時代からすごかったのに、東海大の原辰徳にホームランを打たれる神宮大会大学の部の映像って残ってないのが何より不思議です。
負けてませんよ
江川はどこまでついてこれるか相手をテストする癖があったと言われており原に2安打その内1ホームランでしたが次の打席は三振とっております。
江川以外高校野球で怪物はいません。
北陽高校の試合を生放送で見て以来江川以上の投手をまだ見ていません!
マジで凄すぎて、後にも先にも。
最初は応援していたが、広島商が勝った時には何故かホッとした。
あまりにも凄すぎる江川に、逆に腹が立ったのかなあ。
江川に投げ勝った土屋(銚子商)はどうしちゃったんだ?
保険代理業しています
江川さんのほかに、大橋さんという右下手投げの好投手が控えでいたと思います。ただ、打線が弱かった。あまりにも。
控え投手がドラフト2位で大洋ホエールズ入団というのも凄い。
ここまで皆が言い争いになっている時点で怪物
◇今、江川さんの大学時代の資料を集めていますが、
「155Km/h以上投げていた」のは・・・高校2年夏~高3秋まで。
大学・プロではそんな球投げていません。
大学1年春に体重が94kgあり「デブ」「力士」みたいに言われ
登板は1。秋に体重戻すもその前に「投球フォームを忘れた」事件。
東大に2試合で7点も取られるレベル。
大学2年春にも「フォームをかえる」と試行錯誤。
結局そんな感じでプロの最後まで・・・(それで通じたのが凄い!)。
間違いなく最も速かったのは~「高校時代」。
昔を馬鹿にするために謎理論を展開する奴は多いけど、今の中学生でも打てる、は根拠なさすぎて大草原
江川さんは、プロの阪神戦で甲子園球場で投げているのを見ましたが、とにかく球の回転がきれいなので、球の伸びがあるように見えます。私は佐々木主浩さんの方が速かったように思います。この時の作新学院がもう少し打てる打線を持っていたら、選抜か選手権どちらかで作新は優勝できたでしょう。
江川を藤川や大谷と比較してるやつマジで野球知らないな
球速は速いかもしれないが江川は次元が違ったわ
アレクサンドロコジコジ
江川の次元が違っていたというよりも木製バット時代の高校生打者レベルの次元が違っていた。
もちろん低いほうでね。
なんで金属バット時代の高校生はレベルが高いのだろう。
芯を食わないと飛ばない、木製バットで練習してた高校生のほうが上達すると思うが。。。
そこのところ教えてください。
こん こん
何も難しく考えることは不要ですよ。
打者進化→投手更に進化→打者更に進化→投手更に更に進化→打者更に更に進化→▪▪▪▪▪で時代は流れているのです。
今より昔の方がレベル高いなんてことは100%あり得ませんのでね。
その進化の結果が今のプロ野球ですか。
あまり迫力感じないんですけど。。。
こん こん
恐らく貴方が感じる「迫力」とは、打者との「相対的な差」なのでしょう。貴方が感じる「迫力」を例えて言うなら、そこそこレベルの高い投手が素人さん打者を次々と三振に仕留める姿にさえも迫力を感じる御方のように思います。私は「絶対的な力」に迫力を感じますが、恐らくこれは野球経験の差だと思います。
確かにこのナレーターは星一徹だ。
高校時代だけなら江川がNO1